浪人生の手記(備忘録)

内情を吐露していきます。

方針

 弥生も末日を迎えた今日。私は“手記”を書くことにした。これまでTwitterでこなしていた自責の吐露(懺悔に近い?)、醜い内情の公開、自己の感情プロセスの分析らをブログへと媒体を移すことにした。さっき風呂場で誓い決めた“方針”を、忘れっぽい私のために、声明を残すことにした。それが当稿である。

 

 思い当たるテーマを箇条書きしていく。

 

「文学・映画・アニメーションを理解できない馬鹿な自分のへの辟易」

「性犯罪者のような気持ちの悪い思考・本能的行動と理性的嫌悪の苦闘」

「限りなく低い自己肯定感の原因」

「過去に犯した”虐め”に向き合う」

「少年時代に受けた“虐め”がもたらした悪影響」

「各友人に対して抱いている“本当の感情”を吐露する」→一例「片親で経済難の家庭に住む聡明ですきずきしい厭世的な彼に対する嫉妬や羨望、そして優越や勿体無さ、親は子を、子は親を選べない非合理的な現実に対する無情」

「作品の読解考察メモ」

「女性をエロい目でしか見れない、反射的に視姦してしまう現状への嫌悪、そして改善の模索」

「肉欲にまみれた男への嫌悪、そしてその被害にあう女性に対してのやりきれない気持ち

。」→異様に人肌恋しくなった去年の思い出であるツイキャスやスカチャンなどのオンライン世界の闇を肌身で味わった。女の子(特にメンヘラ)を性器としか見ていない恐ろしく残酷な人達。やりきれない悲しさに襲われた。

「貧乏は人を殺す」

過敏性腸症候群(ibs)がもたらした悲劇」

「感傷の備忘」

「私の夢」

「日記」

「紀行」

「大学受験や資格勉強の進捗」

「中学時代のあの友人関係の回顧」

 

 ただでさへ不真面目な完璧主義の私なのだ。醜い私を晒すのはとても抵抗がある。現にTwitterで吐露する際はごたくを並べて正当化・都合化していた節があったし、本心を述べていたか何て言われたら首を縦に降ることはできない。旧友が見ることのできるツイートに、あまつさえクラスでの起こした悶々とさせられる苦闘を公開するなんてできやしなかったんだ。だから、この手記では…例えば中村文則の小説のように葛藤を引き起こす性的欲求を、例えば白河美兎のように他者に対しての(倫理に反するような言いにくいようなものも含めた)実直な観念を、記さなければならない。そうしてようやく清算は終わる。

初稿

 三寒四温に別れを告げ、病める現代人たちに風流心を思い出させたかと思いきや、忽ちその身を散らせていく桜。なんともコケティッシュな振る舞いは、断片的な記憶と化してしまった“恋煩い”を想起させる。

 

 私の関与など無いも当然と動いていく世界。隔絶。栓無いとは知っていても、私の存在など無価値同然であり、無意義な生を朽ちるまで浪費している箱庭の醜い私という存在を疑い自殺年慮を繰り返していた時期もあった。(結局家族という存在が私を引き留めた)これもひたむきに内向に逃避した私の末路だ。

 そんな若き絶望を懐かしく想起させるのは、我々を翻弄する上記の桜だ。

(…まさか花見をしないだけでこんなに社会からの隔絶・取り残された感じを味わうとは思いもよらなかった。)

 

 筆を走らせていると、方丈記の『ゆく河の流れは絶えずして』を想起させられる。問答無用で流れていく河の水に無常を覚えた高一の晩春。文学で感傷を覚える契機となったあの授業、そしてあの一節はとても思い入れが深い。読んでくれているあなたも、もしやそんな作品を懐かしんでたりするのかな。

 

 世界に、社会に置いていかれるのが怖くて、焦燥を石炭の如くくべて、数年来の友達を観桜に誘った、それが今日。初稿だ。

 

 

 枕を書こうとしたつもりが、だらだらとながくなってしまった。

 

 風呂場で想定していたものと全く変わってしまった。堅苦しい文筆をするつもりがきらびやかなブランクをみていたら忘れてしまった。マイペースだけど次稿にまわそうと思う。